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第4回 母校歴史探訪 報告

 同窓生の皆さま、母校は来年の9月に創立100周年を迎えます。その周年行事としての「母校歴史探訪」も4回目を迎え、参加者21名で、令和4年10月15日に実施致しました。
 今回は母校の歴史を辿る散歩から、もう少し輪を広げて、千住町の歴史についても学ぶ楽しい散歩になりました。 前回と同様に千住街ガイドで活躍されている長ケ部光矢さん(18期)に、案内をお願いしました。
 宿場町通りを北へと、荒川を目指します。途中には足立区有形民俗文化財に指定されている地漉紙(ちすきかみ)問屋の横山家があります。千住宿の伝馬役も担っていた当時の屋敷の面影がわずかに残っていて、江戸時代の人の行き交う様子が想像できそうです。向かい側には江戸中期に開業した際物問屋の、吉田絵馬屋さんがあり、その並びには名物の槍かけ団子を売っているかどやさんがあります。とろとろのつきたてのお団子が美味しくて、一串ほおばる皆さんの頬に、笑顔がこぼれます。
 今回も秋日和に恵まれ、歩みも弾みます。 さらに北に進むとお寺が点在します。
 安養院は千住では最古の寺で、鎌倉幕府5代執権北条時頼により氏政の祈願所として創建されました。そして、都立足立高校の源流である「千住町教育会」の創設者「堀内亮一」氏の墓があります。私は静かに手を合わせ、母校の100周年を報告しました。
 清亮寺は水戸光圀が大名行列の毛槍を立てかけさせたという「槍かけの松」があった寺で、境内は整然と墓石が並び、綺麗に掃き清められていました。その一角に、小塚原刑場で処刑され、日本医学の先駆者、福井順道らによって解剖腑分けされた囚人11人の解剖人墓があります。明治3年から翌年にかけてのことです。墓石には150年後の今も白い菊の花が綺麗に手向けられていて、千住の町の優しさにつつまれているようでした。
 近くには250年前の江戸時代に開業した名倉医院があります。門前は朝から駕籠や戸板の行列で埋まっていたそうで、今でも当時の建物の一部が残っています。北斎は千住で、「関屋の里」を描いていた頃によく訪れて、骨格や筋肉をデッサンしていたそうです。幕末には勝海舟や、山岡鉄舟も広大な庭に遊山に来ていたそうです。
 これまでの母校歴史探訪で、千住の町を巡り、粋な旦那衆が遊びの中から発展させてきた華やかな町文化に触れることができました。 そして、教育にも熱心な町であったことも知りました。今回は、江戸へとつながる宿場町として栄え、参勤交代で発展してきた千住の町も感じることができました。
 今まで母校歴史探訪に参加してくださった同窓生の皆様、楽しいひと時を一緒に過ごせましたことを深く感謝申し上げます。
18期 広報委員 引網 ちゑ
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